meher

人生、いつだってミーハーじゃなきゃ。

「明日」にだまされるな

「明日から」っていう言葉は都合のいい魔法のことばだなあと。

誰もがおなじように明日を迎えるのに、「明日から●●しよう」って言ったら、その明日がまるで今の現在から切り離されたように特別な一日としてみなすことができる。

 

場所が変われば、日にちが変わればできる ”はず”。

自分を違うところに連れてく(ように妄想する)のはいいけど、行ったからってその前と今の自分は変わらない。そこで自分が何をするか、動くか次第。

場所、時間はあくまでフォロー的存在ぐらいにしないと依存してしまう。

 

自分もよく感じるし、今も感じているからこうやって書いているんですが、

今、意志力について書かれた『スタンフォードの自分を変える教室』を読んでいて、少し関係ないんですけど、そこに面白い事例が載っていました。

スタンフォードの自分を変える教室

スタンフォードの自分を変える教室

”イェール大学の研究者たちは学生に脂肪ゼロのヨーグルトと 〈ミセス・フィールズ〉のクッキーのどちらかを選ばせました。次の習の実験でも同じふたつの選択肢から選べると聞いた場合、83%の学生はクッキーを選びました。これに対し、お菓子が出てくると実験は1回限りだと思っていた学生の場合、クッキーを選んだのは57%でした。”

 

”意志力のチャレンジに取り組みながら、それに関する決断をする時、「あとで取り返せばいい」という思いがアタマをよぎることはありますか?「今日はダメでも明日挽回すれば大丈夫」と自分に言い聞かせることはありますか?自分でやるといったことをちゃんとやったでしょうか?それともまた、「今日は楽しんじゃうけど、明日こそちゃんとやろう」の繰り返しだったのでしょうか?

人には先のことを楽観視してしまうせいで、やるべきことがあっても後でやろうと思うだけでなく、あとになれば簡単にできると思いがちです。心理学者の研究によって、私たちは、今日よりもあとのほうが自由な時間があるはずだという、間違った予想をすることがわかりました。” (太字は自分がつけました)

 

これは当てはまる節がいくつもある…!って読みながら思いました。

明日っていう自分にとっての都合のいいことばを使うことによって、明日の自分に対していわば「タスクの借金」をしている状態に簡単にすることができます。でも、逆に簡単に明日に借金できるからこそ、「まあできるやろ!」みたいな甘い誘惑が誘ってきて、で、「また明日」「そのまた明日」ってなってしまうなーと…。

 

”人には「明日はもっとできる」と考える習性がある”

うーん、確かに…。

 

これに対して、何をすればいいのか、どう対処していけば、弱い自分に勝てるように努力できるかということも書かれていました。

 

”ある行動を変えたい場合、その行動自体を変えるのではなく、日によってばらつきが出ないように注意する”

つまり、「明日も同じ行動をする」と考えることが必要なんだと。 言い換えると、やらなかったらまた明日も同じ行動をする、ということ。

今日やらなかったら、また明日もやらない。また次の日も…という風に。

 

じゃあ、いつやるの?今でしょ。(なぜか最近流行りのw)

今までのようにずっとこうやって先延ばしにして、あとでツケが回ってきてもいいか考える必要があります。

(個人的にこの言葉は、生き急ぐようであんまり好きじゃないんですけど、この場合はこの言葉がしっくりくるので。)

 

あとは、何で自分がそれをしたいのか、っていう「なぜ?」っていう意識を持つことも大切だと書かれていました。

 

「明日までに宿題やらなきゃいけないんだけど、明日でいいか」は、何でやらなきゃいけないからって言うと、やらないとテストの単位落とすから、とか先生に当てられるから、とかマイナス面からでもプラス面からでもそういう理由があってこそのやらなければらないことなはず。目的意識を持つことって大事。

 

最後に。

もちろん【明日の自分】に任せることは楽なんだけど、明日の自分だって、今日の自分と打って変わってガラリと変わるわけはないはずで。寝たらまさかのスーパーマンになってました、っていうのはあり得ない。

 

自分は今日やらなければ絶対に明日もやらない、と考えてこれから少しずつ変えていかなければならないと感じました。特に自分は時間の使い方がとても下手なのでそこら辺も意識して意志力をつけたいなーと思います。

いっつも締め切りギリギリなので…。