「書き残す」ことに対する想い
おはようございます!
最近よく思うこと。
「書いて残す」ことって結構大事だということ。
毎日こうやって書いてきて、それに毎日”Day One”というアプリに日記も書いてる自分にとって、「書くこと」はもう当たり前だし、生活の一部になっているからこそなのかもしれないけど、時々振り返って自分はそのときどう思っていたのかっていうのを見返せる場所があるのとないとじゃ結構変わる気がする。
どこに書くかはどこだっていいです。紙に書いたって、ブログに書いたって、自分の日記帳に書いたって。書く媒体は正直どうだってよくって。
見せたって、見せなくたってどっちでもいいと思います。その人次第。書いて残すことが重要だと思うから。前書いたやつを見返したりすると結構面白い。何でこんなこと書いてるんだよwとかザラにあるし、「うわー…」っていうのをよくあって、そういう恥ずかしい部分含め楽しい。
“この記事だけではないですが、この1年でブログの書き方として学んだのは、「自分が当たり前だと思っていることを丁寧に書く」ことがものすごく大事だってことです。当たり前のように日々考えてることを少し引っ張り出してもう少し丁寧に言葉に落としていくこと。 これをブログという言論空間でやっている大学生は、意外に少ない気がしてます。みんなおもしろいこと考えてるんだから、話せるんだから、もっと書いたらいいのに!と思います。”
(via さよなら、2010。)
生まれてきて、育ってきた過程が違うなら、考え方、思い、もちろん違うはず。
”自分の当たり前と、他の人の当たり前は絶対に違う。”
っていうのが根底にあるので、自分だけにしかできない体験、実は自分にしか感じられていないことって絶対にたくさんあると思うんです。自分から見たら普通に思えることだって、他のひとから見たら普通じゃないことって結構あると思います。
例えば、洋楽がむっちゃ好きなんだけど(それが普通だと思っている)、他の人はレゲエが好きだったり、J−POPが好きだったり、自分では普通だと思っていたことも実は普通じゃないって言うことを他の人のブログとかを読んだりしているとよく思います。
だから、自分の思っていること、不思議だなあって感じていることとかをブログ何なりで発信したらいいのになーって思うことがよくあります。っていうか、いろんな人がどんなことを思っているのか興味がある。
なのでもっと、自分をコンテンツ化して発信したらいいのに、っていうかむしろしてほしいと思います。
もっと、記憶に留めるんじゃなくて書き残したらいいのに、って思います。
思い出とか記憶って絶対いつかは薄れていって曖昧になっていくし。
だから、そのときの熱量をリアルタイムで書いて残すことってすごい自分のためにもなるし、振り返ることもできるいいことだと思うんです。
言わなきゃわからない、書かなきゃわからない。
面白くても、泣きそうでも、どうしたって伝えなきゃわからないです。
思っていてもわかってくれるだろう、なんてそんな考え甘えだって実感しました。
これはしゃべるときとか、話し合いの時にでも通じることで。『しゃべらないと何も返ってこない』っていうことを最近思い知って、「わからない!」っていうこともひとつの意見だし、間違ったら誰か指摘してくれるはずだし、って考えたらいろいろ出してったほうが後々得になるなーって思うんです。
自分の思っていることをできるだけ反芻しながら、自分に言い聞かせるように、誰かに伝わるように、そう思いながらいつも書いています。
できるだけ自分の中の考えを整理して自分らしい文章でいろいろ書くのがすきです。
カタカタ打つのがとても楽しいんです。具体的に、かつリアルに。
こうやって、前からいろんなことをつらつら書いてきて、自分の書いているものを誰か知らない人に見てもらって、って時々反応をもらったり。そういうのってすごい嬉しいなーってつくづく思う。書くことがすごいすき。「書き残すこと」にすごい興味がある。暇さえあれば書いてるし、書くことに困らない。
自分はどんな人生を送っているのか、当時はどんなことを考えて生きていたのか。そういうことを振り返って「自分史」を作るためにいろんなことを書くのって、すごいいいと思っているので、これからも書き続けるし、終わりはないです。
会社の利益になるアイデアを次々と生み出すアイデアマンもいれば、社員の負担になるアイデアを次々と量産するアイデアマンもいるんだね。同じアイデアマンでもぜんぜん違うね。
— まゆみさん (@mayumi_1225) 1月 14, 2013