隠しているようで漏れている承認欲求
おはようございます!
Twitter、最近はあんまり見ないようにはしてるけど、自分のやったこと、考えていること、している「なう」(今はなうなんて使う人いないか…)なこと、いっぱいタイムラインに流れてきて、いろんな人の意見や思ってることを知れるのって面白い。
Twitterは140字から自己発信でき、”流れる書き残せるツール”として日本人に瞬く間に大人気になりました。140字という制約があるからこそ、うまいことぴったし言葉を見つけられた時はすごいうれしいし、短い言葉で伝わるように書くにはどうすればいいか、っていうのを考える練習にもなる。
当分は飽きることはないだろうし、Twitterは良いプラットフォームだなあと思う。
ここからが今回言いたいことで。
でも、ときどき残念に思うのが、誰かわからないような不特定な人に対しての抽象的な愚痴のつぶやきを見かけるときです。それをインターネットというオープンな場所でわざわざ言ってどうするの?ってすごく思います。(Twitterはツイート1つ1つにURLがあり、1つのツイートが1個のサイトのようなものになるので)
それをして何か変わるの?って思ってしまう。
みたいな、上のことをTwitterに書こうとしたんですけど、別にTwitterに書く内容でもないし、それをTwitterで言う必要もないと思ったのでここに書きます。
抽象的にごまかして、それなのに自分を擁護してほしさが隠しているようで漏れているつぶやき。
それで満足なの?自分の承認欲求はそれで満たされるの?って思ってしまう。
そういう人は何かあったらつぶやいてしまうんだろうなあ、依存してしまうんだろうなあと感じる。拠り所になってしまうような気がする。そして、返信とかが来ないと、「自分なんて…」ってふてくされるようになるのなんで。明日また書くけど、「フィードバック中毒」に陥っているように感じます。自分が発信したら何かが必ず返ってくると思い込んでいる人。
もちろん、自分が発信したいから、書きたいからそういうことを書くんだろうと思うから別にどうでもいいんだけど、面と向かっては言わないけど、正直そういう人はめんどくさい(と感じる人は多いと思う)。
ある程度はその人をフォローしてタイムラインに流れるそういうつぶやきを見る人のことを考えたことはあるのか気になる。そんなのは自分の中で留めるか、誰かに直接相談しろよ、って思う。
知らないところで誰かのことを悪く言うことって、まるで陰口だ。
嫌なことがあるんだったら、それをもっとリアルに、かつ具体的に書けばいいのに。
抽象的に書いて誰かわからないようなことを書いて誰も傷つかないような、そんなのなら誰かに見せるな。
別に見せろって言われたわけじゃあるまいし。自分のノートに書きなぐったっていいと思う。そういうはぐらかすような抽象的な思いはすぐに消えちゃう。
だから、どんなことだって、できるだけリアルに、かつ具体的に書いたらいいと思うんです。見せたければ見せたらいいけど、見せるのは必須なんかじゃない。
変えられない他人のことを陰でとやかく言うなら、自分が変わらないといけないなと思います。まずは、自分から変わってく。人間関係は自分もうまいようにいかずもどかしいこともあるんだけど、「変わろう、変えよう」と思うなら、自分から変わってかないといけないなーって思いました。
採用する側は採用前に会社の気質を包み隠さず明確に公開すべきだし、採用される側はしっかり志望する会社を調査してほんとに自分のステージかできる限り見極めるべき。会社の気質を隠したり、よく調べもしないで履歴書を送ったりしないこと。
— 田川香絵の中身のネコ (@kae_ru_tagawa) January 14, 2013