見えないものをことばに訳す
こんばんは。
今日は免許を取りに静岡県免許センターへ。
無事に取ることができましたー!
そして新幹線に乘り帰宅。
すっごい久しぶりな気がします。そして、静岡に比べて寒い…。
以心伝心なんてあり得ないから、言葉を大切に。みかんを巡る争いの話。
「見えないものを見る」
見えないものを見えるようにするために、一番わかりやすいのが「ことば」にするっていうことだと思っていて、今年はそれを頑張りたいと思っています。
確かに感動体験や、その人しか経験していないことってどうしてもその「場」を共有していないとその熱量を伝えることって難しいんだけど、それでも、自分は誰かが感じたことの裏側(見えないところ)まで読み取れるような「見えないものを見れる」人になりたいと思うし、その熱量ごと伝えられるような、書ききれるような一言に込める思いの強い人になりたいと思う。
そのためには、もっとその人についていろいろな角度からみたり、「この人つまりこういうことが言いたいんだよなー」とか、「ことばではこういうこと言ってるけど暗にこういう事が言いたいんじゃないの?」みたいなところを常に探すようにすることをしていかなければいけないと思っています。
それって、一長一短で手に入れられるものじゃないから、毎日街歩く人をみたりとか(この人は何かニヤニヤしてるけど何かあるのかな…とか)、隣で話している人たちの会話を横で聞いたりとか(この人たちは何のテーマで話しているんだろう、とか)日常から心がけたいなーと思っています。誰かを観察してこの人はこういう人なのかなーって、自分なりの第一印象を勝手に想像するのはあんまりいい趣味ではないけどなかなか面白い。
でも、そこで終わらせるんじゃなくて、そういう人を自分なりに紹介できるようにまでしていきたいと思っています。つまり、アウトプット。上に書いたように人に限ったことじゃなくて、読んだものだったりとかTwitterのつぶやきとか。その人の顔が見えない分難しいんだけどそうやって中をほじくろうとして読むと、意外と面白いです。その練習がこのブログだったりするんだけど。
今まで使ってきた直感だったり、感覚をどうにか自分のことばで表現できるようになれば、少しは成長できたといえるのではないかと思います。頑張りたいと思います。
■コンプレックスのある人間が何かを起こすからそこにストーリーが産まれる。なぜその活動をその人がやる必要があるのか。あらかたのものはこの世にあって、別に何もやらなくても誰も困りはしない。その中で何故やる必要があるのか。物語が大事なんだ。
— じぶんなりわい製作所(じぶなり)さん (@jibunari) 1月 7, 2013