まずは目の前から(ニッポンのジレンマを見て思うこと)
おはようございます!
昨日から確実に寝正月になってしまっています。
1人暮らしのうちではテレビがないので、地元に帰ってきてからは結構観ているような気がします。なかなかいいものだけど、うちにテレビがあったらそればっかり見てしまう気がするから、ないほうがいいと改めて認識しました。
そして、Kindleが欲しい。
昨日の23:00から、「ニッポンのジレンマ」という番組をみました。
Twitterとかでよく見かける人が多かったので、テレビもあることだし見てみようと思って。
正直な感想としては、
・格差の話はどこへいったのだろうか、ということ
・話を深めていく議論というか、ただ自分の観点から言いたいことを言っているだけのような気がしたこと(人の意見を”認める”ということが少なかったかなと感じる)
・分野とか価値観が結構バラバラで、ファシリテーターがいなかったことでまとまりがつかなくなっていたこと
・実際に政治を変えている人が論客にいない以上、「真剣10代しゃべり場」の世代が上になったバージョンみたいになってしまっていたこと
・どこか遠い話のような気がしつつも、結構迫ってきている身近なような話の気もする距離感にジレンマを感じたこと(こんな風になれるのかな?とか、こんな風になろうと本気で思えばなれるということ)
こんな感じかなーと。
でも、これらのことはほとんど番組の構成上避けられないことで自分がどうこう言ったところで何一つ変わらないし、そこは正直どうでもいい。
あとは、本当にファシリテーターみたいな、合いの手を入れる人というか場をまとめる人が欲しかったと思う。ファシリテーター役すら論客の宇野さんがやってたし。司会の人はただ聞いてただけだったような…。
結局、こんな人もいるんだなーっていうこと、そしてなりたいと本気で思うならなれるという、いわばロールモデルがいるということを認識しておくことが必要なのかなーと。
社会はもうちょっと多様性が受け入れられるようになり、いろんな働き方があることが示されていくと思います。そして、珍しい人の働き方はどんどん取り上げられていくと思います。単純に見てて面白いし(この面白いには傍観者として見ているから面白いと思うのかもしれないけど。自分事になっていないということもあるのかも)。
だから、「そんなの無理だ!」とか「おかしい!」って言ったところで、もうそういうふうにして生きている人がどんどん生まれてきているということ、型にはまらないようないい意味で外れていく、そういったトレンドになりつつあるということを薄々感じていなければいけないんだなーと感じました。
何にせよ、自分にできることは「偶然に乗っかるような」人生を過ごせるようにするために”まずは目の前のことをしっかりやること”から始めようかなと思います。
人生は縁によってつくられるとはよく言ったものだし、そういういろんな偶然から人生はつくられていくような気がする(いろんな人の話によると)だと思うので、そういう偶然が、「バッ」と起きた時に、その偶然の波に乗れるような力を早く手に入れることが一番の先決事項だと思うからです。
友だちが、『その型にはまらない「型破り」も”型”がなければただの「型無し」だ』と言っていて、ああ確かになーって思います。まずは、土台部分をしっかり固めた上で、その次にいかないと足元グラグラするよーっていう話。
この番組をたまたま見たのも何かの偶然。
どんな生き方したいかなー、どんな働き方をしたいかなーっていうのをうろうろ考えるきっかけになったかなと思います。そろそろ就活だし。
主役として話を始めると、反応がなかった時に後がなくなる。話題を変えたら負けだから、形容詞を過激にする方向に舵を切らざるを得なくなる。脇役の立ち位置は聞くことからはじめたり、あるいは口火を切って流れに任せたり、選択枝が多い分だけ、形容詞を抑えてもできることが多い
— medtoolzさん (@medtoolz) 12月 31, 2012