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人生、いつだってミーハーじゃなきゃ。

KUILO2012を振り返って

今年ギリギリになってしまったけど。

今年の春休み(3月)から8月の下旬まで、毎日休まずやってきたゼミ活動(通称”KUILO2012”)の振り返りを。

 

KUILOについて。

 

 3年生になってからゼミ活動で、今年の8月の下旬に、タイのバンコクでのILO(国際労働機関)という国連組織で「労働力移動」というテーマで1つオリジナルな政策をつくり、それを国連職員の前でプレゼンをしてきました。現在外国人労働者が受入国(=働きに出ている国)で、時間外労働や指定外労働など搾取されている現状があるために、どうしたら外国人労働者の権利を守りつつ受入国の企業にも利益を得られるような、双方が共にWin-Winな関係にできるかを考えながら政策を考えました。

 プレゼンの内容は、競争力という観点から産業、さらにもう一段階小さい単位である企業を類型化し、競争力のある産業かつ企業のみ外国人労働者を入れるというものです。

 競争力の観点から産業を「競争力のある産業」「競争力のない産業」に類型化し、さらに競争力のある産業の中でも「競争力のある企業」と「競争力のない企業」の2つがあると考え類型化しました。外国人労働者と雇用者の利益を達成するには「競争力のある産業かつ競争力のある企業に入れるべき」と定義付け、本当にそういった企業に本当に外国人労働者を入れる余地があるのかを検証するためにフォールドワークをし、検証できたため、それを実現できるような新たなVISA制度をつくりました。

 

 

↓ 以下はKUILOが終わったときに書いたものです。

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「KUILO 2012」

8月28日、KUILO2012が終わった。

始まってみたら、2月から7ヶ月間、幾日も幾日も夜遅くまで集まって、夜も「後藤ゼミ」のLINE見て、寝る間も惜しんで(いつの間にか一瞬で100くらい未読が溜まってて急いで見たりした)やってきた日々が終わった。

 

最初のころから今思うと、すごい時間を過ごしてきたなあと思う。

こんなに寝ない日はなかったと思う。バイトも1ヶ月に4日とか、本当にバイトの人たちに申し訳ないことをした。

自分が過ごしてきた中で一番濃かった7ヶ月間。あっという間だった。だって夏休みの2ヶ月のうちのもう1ヶ月が終わろうとしてる。でも、よくわかんないんだけど、「やった感、やりきった感」みたいなのがほわほわと残ってる。やめないで本当によかった。

 

この感覚を人に伝えられなくてすんごいもどかしいんだけど、終わりの見えなかった先にやっと未来が見えたというかそんな感じのような気がする。やってた過程って何かいい思い出がないはずなんだけど、何でかわからないけど満足してる自分がいる。いろいろ問題があって自分のよりどころ、やりきれなさにもがいていたあの頃の自分があったはずなのに、開放感に包まれている自分がいる。

 

多分この12人じゃなかったらできなかったって思うし、多分この熱量的に他の人に話しても伝わらないと思う。でも、そういう感覚を出来るだけリアルに伝えられるように自分の8月時点までの記憶を書いていきたいと思う。

 

 

そもそも自分のやっていた「KUILO」っていうのはILO(International Labour Organization)とKU(Kansai University)の合わせた略称で、夏休み(8月下旬)に、以前ゼミの先生が働いていた国連機関のILOがあるタイのバンコクで、現在働いている国連職員(先生の知り合いなど)の前で英語でプレゼンをするというもの。今期は4回目。つまり4期生であり、先生は次の年からオーストラリアに行ってしまうので今回が連続して続くKUILOの最後だし、しかも先生曰くもうやらないって言ってるので、これが本当に最後みたい。

 

遠い存在だったタイのバンコクでの英語でのプレゼン。最初のころは、全くそんなの実感がなかった。雲の上の存在のような。国連の機関でそこに行った上で、そこで働いている超一流の国連職員に英語で話を聞くとかじゃなくって、逆に自分たちが独自の観点から考えて、足を運んでインタビューしてきた生の情報を盛り込んでのプレゼンをする。最初から言われたことだけど、想像もできなかった。先輩の話とかを聞いても、全然実感がわかなかった。

 

最初のころ(冬休み、春学期始まってから)は英語の論文を自分なりに訳して輪読。ILOのぶっとい資料に圧倒されたのが最初の印象。ええ、まじか。みたいな。しかも論文なんで、知らん文章で堅い文章で、その分野の専門用語ばっかり。しかも、訳せないことにいらいらしたりもした。英語を触ってこなかったばつなんだろうけど、全然日本語にうまいこと訳せなくて、自分なりの日本語で書いたもののなんのこっちゃわからなくなったりどういうこと?っていうのがすごい多かった。あのころには戻りたくない。

 

3月ころ(だったかよくわからないけど、もしかしたらもっと前かもしれない)、先生からテーマを4つの中から選んでこのテーマで7ヶ月間やることになるって選択を迫られた。児童労働、Green Job、労働力移動、震災関連。2011年に東北大震災が起こって、すごい震災やそういうのがトレンドになってていろんなゼミでも震災関連のテーマに敷いているだろうと思ったのか、このゼミはあえて違った「労働力移動」についてのテーマでKUILO2012を始めることになった。

 

労働力移動は、自国の労働者が外国に働きに出て、自国の労働力が移動すること。それによって、外国の政府が自国の労働力が奪われてしまうのではないかとか、外国人労働者を安い賃金でいいようにこきつかわれたりだとか、そういう問題が多く起こっているのも事実で、そういう問題を解決するためにも、ILOは今取り組んでいて、それの一助になるような自分たちの新たな観点からの政策を作ろうとした。

 

 

4月からやっと学校も始まり、留学組も帰国して初の顔合わせ。

いざ始まって何ヶ月かすると、途中で自分のいる意味がわからなくなって、このゼミでの自分の必要性を感じなくなって、自分は何のためにこのゼミにいるんだろうって思った日が続いたときもあった。なぜって、自分の強みが全然わからないから。ゼミの進度についていけず、いつも遅れてついていく毎日。追いつくのが精一杯。でも、ゼミはずんずん進んでいく。

自分がやったことがゼミのためになっているのか?

自分のやっていることはゼミにとってどのようなカタチで貢献できるだろうか?

いろんなもやもやと、なかなかいい意見が出せず話す機会もあまりないときが一番しんどかった。葛藤の日々が続いた。(そのときはインターンの募集の時期で、[2回生のこのときはインターンとか全く考えてなくて、むしろそういうのがあるということを知らなくて、サークルのGV活動で夏はカンボジアにいく事でアタマがいっぱいだった。]社会人がどんな風に働いているんだろうって思ったのと、少しでも社会に出てみたいなーっていう思いから、漠然とだけどインターンをしようと思っていた。でもまとまった時間はとれず、休みの日でもゼミがあるために時間を割かなければならず、インターンもやっていたんではインターン先の人にも迷惑がかかるし、ただでさえ、貢献できていないゼミでの活動にすら影響が出てしまう。そう思ったので、前からやっているゼミ一本で今年の夏を越えることを決めた。)

でも、悩もうと悩まなかろうと、もうこれはやるきるしかないと思って半ば自分の思いを取っ払ってやっていた時があった。何でやってるんやろっていうのをもう考えたらきりがないと最後には思った。

 

でも、緊張しながらも何とか自分の発表が終わって、先生がこっそり用意してくれていたムービーを流してくれたとき、最初のイントロが流れ始めて映像が映され始めたとき、何かわかんないけど、ふわーってなっていろんなことがった7ヶ月間のやってきたことが走馬灯のように思い浮かんで、辛いこと、きつかったこと、楽しかったこと、いろんなことあったけど、それら全てぜーんぶ含めて無駄じゃなかったな、本当にいい経験ができたんだなーと、確信した気がして涙が止まらなかった。みんなも泣いてた。大泣きしてる人もいて、みんなこらえ切れないんだろうなっていうのがわかった。

正直、幸せだな、って思った。

 

自分の強みを探して、グラフとかビジュアルに関する仕事を進んでやったものの、やったことがすべてなくなってしまった、消されてしまった時は、自分の存在価値を見失ってしまった気がしてすごい落ち込んだ。

何時間もかけてグラフを英語に書き換えて一つ一つ直したのにそのグラフが結局使われなくなったりしたときは今までの努力って何だったの?みたいな。顔は笑ってたけど、結構傷ついてたのは今だからこそ笑って言えること。

 

そういうことがあって、いろんなことが出てきてこのゼミいや!ってなってもどかしくなった事が結構あった。労働力移動なんて興味ないし!みたいなふてくされてたときもあった。ゼミはそのときは毎日あったから、今日もゼミあるのか…とか憂鬱になってたときもあった。

 

この夏はインターンとかを通して社会人と会って、いろんなタイプの人と接してみたいなーと思ってたけど、それももちろん無理で。まとまった時間もとれず自分のやりたいことしたいこともまともにできずにゼミのための1日をずっと過ごしていた。そういう自分が選んでこのゼミに入って自分のやりたいことをやらないでゼミをやっていたのに、なにしてるんだろうって自問自答の日々があった。

 

みんな自分に対していろいろやってくれたとか、細かい所をなおしてくれたとか励ましてくれる。でも、それに自分が甘えてたら何かそれはだめだと思ってて。自分がやったかどうか、自分のがんばりがそれに見合った働きだったかどうか、それを決めるのは自分自身。そういうのを身にしみて感じたのが今回のKUILO2012で感じたことのひとつ。自分の無力さを痛感した。やれることがもっとあったような気がするし、それができていなかった、行動に移しきれなかった自分への情けなさに悲しくなる。

 

自分の武器を探すことって、本当に難しくて、自分は代替可能な人間だったように個人的に感じてて、それがもどかしくもあり、何か探さなきゃっていうインセンティブにもなった。誰しも得意なこと、苦手なことがあります。だからこそ、その人にあった得意な武器を探してそれを追求することってすごい大切だし、それをしていこうとしていかなければ、多分この先自分は他の人たちに埋もれてしまう。

 

今回の日本語で描かれたグラフの資料、全部一から作りなおして英訳して、本当にめんどくさかったし。いまいち成果が見えづらいものだったけど、グラフとかそういうグラフィック系は自分がやるしかないと思って、逆にそこだけが自分の強みを活かせるところだなと思って、がんばってやってよかったなあと思った。

 

 

 

最後の先生の言われた言葉が、すごいストンてきて、経験からでた素の言葉なんだなて思った。

”絶対に変わらないもの。それは「人は必ず死ぬ」ということ。どんなことがあっても人は必ず死ぬ。この事実だけは必ず変わらない。だから。結果とか目標とか死んだらもってけないものみたいなそういうものを追い求めるよりも、それまでの過程を大切にしろ”

っていうのがじーんときた。

 

 

今回のKUILOでも結構思ったことがあって、いろいろな葛藤や悩み、思いが重なったそういう7ヶ月間が重なった、やってきたこと、やれなかったこと、悩んできたこと、話せなかったこととか、そういうもろもろの過程を積み重ねることが大事だったんかなーって思った。もう正直、どんなこと話したかとか、どういうことで悩んだかとかいちいち思い出せないけど、多分こういう結果が出せたのも、これでいこうっていうのも結構1週間毎ぐらいで変更していって最後らへんは本当にあたふたしてたけど、そういう紆余曲折の部分があったからこそ得られたものだし、確かに無駄じゃなかったし、そう考えると人生に無駄なことなんかないんだなってことが実感できた。KUILOは先生曰くそういう経験をさせるためにやったって言ってたし、自分も終わった後そう感じたし、KUILO成功しました。よかった。ほんとに。

 

何をしても、何をしなかったとしても、時間は流れていく。これは本当にそうで、あっという間に1日は過ぎて、一ヶ月が終わっていく。気づけば、もうテスト前期間で、今回ほど焦って勉強した期間はなかったと思う。連日自分のうちで徹夜で勉強。全然寝てない、みたいな。徹夜明けのテンションでなんとか乗り切った部分も結構あるし。いろんなことがあったなあーってすっごい感じる。

 

まだまだ自分のだめなところは、自分に対してできなかったことに対しての言い訳を作っているところ。できなかった理由が忙しいからっていうのが嫌いだったはずなのに、ゼミの他ではゼミで忙しい、みたいなことを言っている自分が情けなかった。「忙しい」という言葉は悪魔だ。忙しいって言えば、わからないのに忙しいように頭の中がそう思えてしまう。勝手に自制をかけて、そこまでのラインが自分の限界のラインと決めてしまっている。何かそういうのをわかっていながら、他の人に通じるわけないと説明するのを怠って忙しいの一言で片づけてしまった。自分への甘えが生んだ、自分のダメなところ。

 

 

「お前、いっつもゼミばっかりやってるよな」

ゼミ以外で会う人たちにいつも言われる言葉。多分、その人たちは本心から言っていると思うんだけど、何かゼミで忙しい自分がいることがいいような気がして調子に乗ってた部分もあった一方、自分のゼミでの葛藤ともどかしさとがごっちゃになって、うーん、ってなってた時もあった。そのときが一番しんどかった。誰に相談していいかもわからず、どうしようか迷っていた時だった。

 

ゼミのみんな言ってたけど、こういう経験ってなかなかできるようなことじゃない。特に学生のうちに国連のILOでプレゼンをする、なんてありえない。それに向けてがんばったあの日、あのころ、そういう葛藤もろもろ含めて自分の今後の糧になるんじゃないかなと思う。多分大事なものとして心の奥にしまわれるんじゃないかなと思う。

 

大好きなことばで、星の王子さまの一節に

「大事なものは目には見えない」

(Anything essential is invisible to the eyes.)

っていうのがあって、ほんとにそういうことだなって実感できた。いっつもひとつのことに集中できない自分が7ヶ月がんばれたっていうのことがひとつの成長かなと思う。

 

今回、自分の中であんまりがんばりました!いたいなのがなかなか言えなくてそれは、自分があんまり活躍できていないのに、でしゃばるのはどうなのかなって思ったから。でも、何でかKUILOが終わってからは、別にそんなに意地はらんでも言いたいこと言ったらいいっていうのがわかってKUILOがILOの記事に載った時は思わず、FacebookTwitterに拡散してしまいました。そういう素直にできたことも何かふっきれて嬉しかった。

 

次への課題として残るのは、自分の思っていることを伝えられきれなかったこと、思うように自分の思っていることを相手に伝えられなかったこと。これは自分の意志次第で何とかなるものだし、これから2人減っちゃったものの、まだゼミ活動は続くから次へ活かすためにがんばろうと思います。

 

ゼミ長、よしむ、やまけん、おざ、やなさん、ゆーすけ、さき、かお、かんた、なつ、ミッキー。そして、後藤先生。

本当にありがとうございました。

 

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何が残ったのか、何を成し遂げられたのか未だによくわからないけど、だけどこれがバネになっていろんなことに対する焦りにつながって、そこから経験したことも多い。

 

結局、「何をやったか」じゃなくて「それで何を感じたか」だということを認識した1年になったように思う。