「100円玉をどこでもいいので捨ててきてください」から生まれる物語
”「100円玉をどこでもいいので捨ててきてください。よろしくお願いします。」”
これを言われたら、自分ならどうするだろう…ってずっと考えていました昨日は。
自分だったらこうするだろうな〜、ああするだろうな〜。そんなことを考えながら、100円玉だったらこうやって捨てるかな、とか、いやもし50円玉だったらどうだろう…なんてあれこれ考えていました。
(結局捨てられず、ビビリだっていうことがわかっただけ)
そもそも、何でこれを思ったかって言うと、この記事を読んだから。↓
スススーっと読んだ時には、「100円の価値って、意外と捨てるときになってみないとわからないものだよな。実は自分は物事の価値っていうのを分かっていないのかもしれないなー」なんて思っていました。
「100円なんてさ…」って思うけど、本当に ”捨てて” って言われると、困っちゃうよね。そこで始めて自分にとっての100円の価値がわかる。
— タイチヒラノさん (@umaretatee) 2013年2月17日
でも、しっかり読んでみたら、そういうことだったのか…!ってすごい感心してしまいました。
”冒頭にも書いたように、この実験って、これまで僕たちが持ってきた価値観を、別の新しい価値観の登場によって揺るがされたときにどういった感情に陥るのかを確かめるためだった。ちょっぴり極端な形ではあるものの。まあつまりは、これまで当たり前のように持っていた「お金は貴重なもの」という価値観に対して、”お金を捨ててください”という指示により「お金は捨ててもいいもの」というまた別の新しい価値観を一時的に突きつけたわけです。当然のことだけど、新しい価値観なんてすぐには受け入れられない。とくに今回の提示した価値観は、これまでずっとずっと持ち続けてきた価値観を放棄させるものだった。結果、ものすごくみんなを思い悩ませることとなったんだけども…。
で、みんながこの葛藤をどう乗り越えたのか。もう一度、捨てた場所とその理由を見返してみるといい。……どう? 見直してみた?(ほんと?) そう、みんなは自分なりに理由付けをした。自分の行為に対して、いろんな(そして勝手な)理屈をつけた。池に投げる気持ちよさと引換にするなら、次にそれを拾うひとが喜んでくれるなら、困っているひとがちょっとでも助かるのであれば… といった具合にね。そんなふうになるなんて決まってもないのに。
これが物語なのかな、そう僕は感じた。新しい価値観を受け入れるには、これまでの価値観を捨てる、あるいは無視しなくちゃいけなくて、でもそんなことなんてできなくて。だけどそれに見合う自分なりの物語を持ちこむという方法で新しい価値観を自分のもとに引き寄せてみることならできる。”
つまり、「貯めておく貴重なもの」という昔から持っていた価値観から「捨てるくらいのもの」という価値観に一瞬で変えようとすると、それに見合う自分なりの”物語”を持ち込むことでしか自分を納得させられない、ということ。
たくさんの100円玉を捨てるエピソードから、普通は貯めるものを捨てるものに変化させた時に起こる心情の変化と行動をかいま見れたのがとても面白かった。そりゃああたふたするよね。普通じゃ考えられないし。確認しながらもそれが現実に起きていることをなかなか信じられないから、物語にすることでそれらを繋げて自分を納得させてる。
人はストーリーを好む。
それはたぶん、繋がらないものをひとつのものとして成り立たせるからなんじゃないかなーって思う。離れているものと、離れているものをひとつのものにくっつけられると、なんかよくわかんないけどそれがあたかも存在しているかのように感じられるし、そうするほうがスーっと入ってこれる。
そう考えると、人間って都合の良いようにできているよなー。自分の今の価値観ではわからない、理解できないことを物語に落としこむことで、それを存在させることができる。そうやってたくさんの物語をたくさん積み重ねることで、いつの間にか物語が物語じゃなくなることもあるんだろうな。そうやって常識が常識じゃなくなることもあるんだろうな。
もしかしたら、「お金を捨てるもの」っていう物語をずっと続けていたらいつの間にかそれが当たり前になっちゃって、「お金を捨てない」ために物語をつくる、なんてことになったり。
「お前話飛びまくって今何言ってるかわかんねーよ!」とよく言われるけど、あれはあれで自分の中ではつながっているんだよ、みたいな感覚なのかな。何事も頭のなかではつながっている。
つながっていないものでも、物語としてつなげてしまうと、それが存在してしまうこともある。
(久しぶりに何を言いたいんだかわからない文章になってしまった…。)
”人は、生きていく上で難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっている。” 小川洋子「生きるとは、自分の物語をつくること」
— タイチヒラノさん (@umaretatee) 2013年2月17日