難しい言葉を簡単なことばに言い換える力
おはようございます!
今日の夜から今年に入ってから初の東京行き。とても楽しみです。
今日は、ESとか書いているときや説明するときに、当たり前のことなんだけどついつい忘れがちなことについて。それは…
「難しい言葉を、できるだけ簡単なことばに直して、説明したり書いたりすること」
これってすごい大切だし、それを意識的にやることもすごい大事なことだなと思っています。
難しい言葉で言うことによって、さも知っているような気持ちになれて自尊心は高まるものの、聞く人、見る人からしたら、「この人なんなの?」ってなるのをわかってない、ただの自己中としてしかみられません。
会話には必ずそれを聞く相手がいるわけで、その人のことを考えないで自分のしたいようにばっかりしていると、いずれ自分のことを聞いてくれなくなるように思います。
ESも同様で、提出するということは必ずそれを見る人がいます。なので、見る人がどんなことを書いていたら「あっ、コイツ面白そうだなー」とか、「見やすい字だな」って思ってもらえるように書かないといけないなーって思います。結局この人は「自分はこんなことをやった」だけで終わってて、自分が何を思ってその後どう行動したかが、全然分からない!なんてことになっては、読んでる方も楽しくないはずです。
以前、書いているときに言われたのが、『「●●力」とか、曖昧なんだけど、それっぽい言葉を使うのはやめたほうがいい』っていうことばです。
本当に確かに…!って思いました。そのことばに当てはめると楽で使いがちになるんだけど、でも、中身が見えてこない感じ。何か薄っぺらいし、自分が見えてこないなーと思いつつも、直せずにいました。
「私はコミュニケーション能力があり、人と話すのがすごく好きなので…」
たぶんこんな感じで書く人はいないと思うけど、いわゆるこんな感じ。コミュニケーション能力のある人は、「コミュニケーション能力」なんてことばは使わないし、もっと自分らしいわかりやすいことばで説明するか、もっと自分のエピソードと絡めてくると思います。そもそも、そんな曖昧な概念をふわふわしたことばで書いたとしても、見てる側からしたらわからない。
「あなたの思うコミュニケーション能力とはなんですか?」って言ってくれるならいいかもしれないけど、普通はそんなことしてくれないと思う。
うーん…、ぼくだったらこのことばを「私の魅力は、人の表面からは見えない小さな魅力に気付くことです。…」みたいに書いて、「前から自分は人の心理行動に興味があって、観察しながら生活するのが当たり前でした。」と、続けると思います(これはウソなので信じないでください)。「あるときふと友人が自分自身に悩んでいたときに、前から知っていた友人自身のいいところを言ってあげたら、『確かに!それっていいことなんや!』と驚かれました。」…みたいな感じでいったら、「それからは…」人と話すきっかけが増えてどうちゃらこうちゃら、で繋げられるかな、と。
(文章ぐちゃぐちゃでごめんなさいなんですけど、今回書いたのは、コミュニケーション能力がついたというのはあくまで結果なだけであって、魅力は「コミュニケーション能力があること」ではなく、その中のひとつである「人の良さに気付くこと」って言い換えることが必要だと思います。)
そういう風に言い換えることが必要だと思っているので、今特に実践しているのが、【自分の言葉で言い換えて説明してみること】をやっています。わからないことだったり自分の理解を深めるために、一旦解釈してからそれを発してみる。ことばにして話すのが苦手なんだけど、理解を高める上では説明できるということは理解している、ということなので、心がけようと思います。
■言いたいこと:自分なりの言葉のほうが伝わりやすい。
タイ子さん?インターネットの普及にともない人との関係を繋いでおくことは容易くなったけど、逆にその繋がりを完全に切り離すことは困難になったと思わない?足していくことでなく引いていくことこそが、本当に大切な人間関係を維持する上では必要な作業なのにね。嫌な時代だわ~!
— サザエbot 3.1.3〈悟〉さん (@sazae_f) 2013年2月6日