meher

人生、いつだってミーハーじゃなきゃ。

日常を見つめる解像度を上げる

おはようございます!

 

最近、この人には敵わないなーっていう人をよく見るんですが、もうなんというか清々しい。敵対の対象とかじゃなくて、この人みたいになるにはどうしたらいいかなーって普通に尊敬してしまう。

最近すごい人をすごい、って認められるようになってから小さなことに感動するようになったのもそのせいかもしれない。

 

modern fart | 第12回 1つで2つの意味 

 

勝手に自分の中で尊敬している菅さんの連載を見ていて、「日常ってほんとにいろんな疑問なことが多いよな」って思います。

自分も、結構日常の中から疑問に浮かんで、そこから「なんで?」ってなる人なんですけど、この人はそれを体系化して伝えられるというところにすごさを感じます。

 

今回のように、ひとつのことなんだけど、実はもう1つ意味もくっついていることもあるというようなことって、紹介された事例にもいくつかありそうで、歩いている時とかにふと思い出して探してみようかなとも思います。

 

印象深かったのが、看板表示の矢印の方向についてのこと。

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確かにこれって表示のとおりに行ったら、「上行け」ってことなのに、なぜか自分たちは「前進め」という意味だと捉えてる。「戻れ」っていう標識も、見ようと思ったら一旦空に上がって、そっから落ちろ的な結構エグい光景にもなりかねないことを示しているのに、自分たちはクルって回れ右をして元来た道を戻っていく。平面を無理やり立体に見せようとすると無理があるけど、そこはなぜか自分たちは補完して、ものを見ている。それってすごい面白いことな気がする。今まで見逃していたけど。

 

 

実は、この記事を読む前にこんなツイートがありました。


「1つで2つの意味がある」って日本語でもあてはまるんじゃないかなとおもったのがこれ。

「あなた」っていう日本語は、よく考えたら英語で言うそのままの「you」と、夫に対しての丁寧な呼び方の2つがあったなーと。

 

日本語には、1つで2つにも3つも意味のあるものがあったなあということを思い出しました。文脈によって意味が変わっていくから、日本って空気(雰囲気)に敏感なのかもしれない。

 

 

やっぱりこういうのを見つけられるというか気付ける人は、やっぱり見つめる解像度が高いなあと思う。そして、そんな人になりたいと思います。
 

表現者の才能について考える

あのひとはなぜ「ネタ切れ」しないのか?――世界を見つめる解像度


”世界を見つめる微細な目を持って、強い心を持って、素直に努力して、燃えたぎるマインドを持っている人。こんな人が、すぐれたクリエイターになる可能性があります。”

 

日常の当たり前のことを当たり前だと思わない。

そう意識して毎日を過ごすようにしたいと思います。

最近はそう意識しているので、前よりも気づきやすくなったとは思います。毎日こうやって書いていると、インプット→アウトプットというより、アウトプットするから強制インプットみたいなところがあるので、毎日いろいろ目線を動かしながら人をみたり空を見たり。何で、人って根本は同じなのに、こんなに性格だったり体格がちがうのかなーとかあれこれ考えるようにもなりました。

たぶん、『生きるように考える』ようになれば、もっと人生は楽しいものになるんじゃないかなーと思います。

 

 ■言いたいこと:日常の違和感に敏感になる。