反応ありきで物は考えないほうがいい
おはようございます!
今日はたまたま見つけたこのツイートから。
年賀状とかそうだと思うんだけど、あいさつはしたいからするんであって、返答が来るかどうかはするかどうかに全く、全く関係ない。これすごく大切だと思う。
— β2 (@kkbt2) January 17, 2013
facebookって「いいね」の数が動力源になるから、普通にしてると身内のグループよりも全公開で投稿したくなる。このフィードバック中毒みたいな感じが、いわゆる情報漏洩とかに結びつくんだろうな。
— β2 (@kkbt2) September 10, 2012
この考えすごく面白いなあと思うし、確かに当てはまるし、当てはまってる人をよく見かける…。せっかく投稿するんだったら、わざわざ範囲を狭めて投稿するよりもPublicで投稿したほうが、見て貰える人の数は増えるし何かが返ってくる可能性は高い。(*そもそも投稿をグループだけにしたり、特定の人だけにできるっていうことを知らない人はここでは含めない)
だからこそ、「いいね」してもらいたい、コメントが欲しい、そんな思いからSNSにどこどこ行ってきた、とかこんなの食べました、っていうツイートや投稿をしているのかなーと思います。とりあえず「今自分はこんなことをしているんだよ、それに対して何か反応欲しいな!!」みたいな感じ。時たま「いいね」がつくから「おっしゃ、またどっか行った時には何か書いて「いいね」が欲しい!」ってなってそのサイクルの繰り返し…。
→『自分のしたことに対して何か反応が返ってくる』っていうことを前提とした考えがある。つまり、誰かが自分に対して興味を持ってくれているであろうと思っているということ。
でもそれって結構危ないことで、必要以上に誰に興味を持ってもらおうとばっかりすると全然面白くないものになってしまうような気がします。大事なのは「思ってる以上に他人はあなたのことを見ていないし、興味がない」ということも念頭に置いておくこと。
ぼくのお気に入りの記事を引用します。
”だから、僕は最初にこう言う「誰も君のことなんか見てない。」
君が失敗しようが、へまをここうが、チャックが開いていようが、誰も君のことなんか見てないし、覚えてない。自分の言葉や表現を素直に出すことは別に怖く何かない。どうせ失敗しても忘れられるし、そもそも見てないから。
これだけの人がいて、あなたのことに関して注目してます!なんて言う人は、いるわけがない。誰もあなたに期待してない、誰もあなたを見ていない。冷たい言葉だと思うなかれ、これが真実だと僕は思う。
ただ、それを受け入れて素直に生きた人の方が純度の高い魅力的な人だと僕は思う。”
道草話程度に。
個人的な話なんですけど、前までは結構Facebookに投稿してたんです。自分の思う面白い記事とかを、一言コメント入れて紹介するっていう形で。何か反応が返ってくるかなーって思いながらいつもシェアしてたんです。でも、あるときから全く「いいね!」やコメントが来なくなりました。何をしてもいいねがつかなくなってから全然面白くなくなりました。「なんで返してくれないん!?絶対面白いと思うのに。」ってずっと思ってました。
そこら辺で、やっと自分はフィードバックを求めすぎてすぎていたことを知ったんです。それで、『他人っておれに興味がないんだなー』って実感してからは、何かもうめんどくさくなって、Facebookにほとんど投稿しなくなりました。(「どこどこ行った!」みたいな写真が50くらい「いいね」がついてるのに、絶対為になるやろって思ってシェアしたものが「いいね」ゼロ…。そのときは泣きたくなりました。)
もう、誰かが何かを返してくれるだろう、っていう驕りを持っているとしんどくなると思います。反応なんか期待しないで自分のやりたいことをやればいいと思う。それが誰かのためになるんだったらそれはそれで結果オーライだし。
誰かに過剰に期待をしない。これも大事なこと。「●●してくれるでしょ?」っていう前提があるとやってくれなかったときに「何でやってくれなかったの?」っていう不信感が残ってしまう。これってなんだかいやなことで、関係がすごいもったいないような気がします。
■言いたいこと:自分のやりたいようにやったらいい。そして、相手に過剰に期待をしない。
【昨日のGood New】
次は、Kindleで「統計学は最強の学問である」っていう本を購入することに決めた。
顔が整ってるとか、ただそれだけのことじゃなくて、一目みた瞬間に惹かれる人がいて。そこにはかならず、なにかしらその人の精神性と結びついた理由があるんだなあ。
— 酒井一途 (@itto_sakai) January 17, 2013