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人生、いつだってミーハーじゃなきゃ。

ぼくは今まで逃げていた(『何者』を読んで思うこと)

朝井リョウさんの『何者』読みました。

1日では読むつもりもなかったし、明日テストなのでかなりヤバイ。

けど、今の感じを書いとかないと多分後悔すると思うので書きました。

何者

何者

 

あの5人の登場人物の中で性格が似ているのは「二宮拓人」だと思う。

自分の考え方とすごい似てるから。いっつも遠巻きに誰かのことを見ている。自分はよくわからないけど、他人だったら何かわかるような気がする、そんな気持ちでいつも他の人を眺めていた。自分は何にもなれないのに。自分は何も変わらないのに。


読みながら自分と対比させながら読んでいって思ったことは、自分は、人が頑張っていることを素直に応援できないひねくれ者だということ。素直に動けている人がものすごく羨ましいって思ってた。そんな風になりたいと思っているのに、どこか止まってしまう、この道で合っているのか?って。だからなかなか前に進めない。自分の道になかなか自信がもてないから、どこか他人の進む方向を見てそれについていくか、それか他人が失敗する様をみてから、見ておきながら違う方向に行く。自分はこれで失敗しなかったぞ、って。

自分が何者かになろうとしようとする行動を理性的に自分で拒んでいる。
それでいながら自分は「何者か」になることを望んでいる。


自分は、もがいている人を上から見て、さもわかっているような口ぶりで小馬鹿にしていたと振り返って思う。自分が動いていないからというだけなのに。嫌なことは「知らない」という選択をすることで、自分の中から締め出してきたし、開けられるのが怖かった。自分は本当は他人を羨んでしまったり、妬んでしまう弱い人なのに見て見ぬふりをしていた。わかってはいたのに地に足付けず、他人を見て、他人の行動を見ることで、言わないけど誰かを否定することで自分を保ち、自分を見ないようにしてきた。自分を見るのが怖かった。完全に逃げていた。


また、「普通」な自分をあたかも普通じゃないように見せたかった。「普通」ということがコンプレックスで、このままでは何かに埋もれてしまうと思ったから、どうにか普通にはなりたくなかった。今もこんなふうにいろいろ書くことで、「他の人とは違う自分」だっていうことを誇示したかった。このブログを書いている理由の『自分のため』っていうのは、自分の成長のためとか、継続力をつけるため、とかそんなことではなく、「
っていういう単純な理由なだけでここまで続けらている。これからも多分そう。

 

今日のこれを見て「痛いなあ」と思っている人がいるかもしれない。話がつまらないと思ったり、なんだこれって思うこともあるかもしれない。疎ましく思っていたり、むしろうざいと思っている人はいる。これを見た時にそう思っている人が少なからずいるはず。でも、そういう他人からの視線を気にして、向かい合わないで逃げていたらやっぱりこれからも逃げるような人生になるんじゃないかって思う今は。


十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。百点になるまで何かを煮詰めてそれを表現したって、あなたのことを同じように見ている人はもういないんだって。(P266)

この言葉を信じてこれからも、毎日毎日書きたいと思う。何もアウトプットしない人よりも1年で365倍差がついてるってことを証明してやる。ブログをやり始めた動機は不純でも、別に関係ない。



最近、”就活”っていうこじつけで、友だち何人かに「自分ってどんな人間?」っていうふうに他者分析をしてもらって実感したことがある。
それは、
「自分は自分だ。他の誰にもなれない。」ということ。
もう、そういう自分がいるという事実を認めなくてはいけない。そのためには「自分はこういう一面のある人間だ」ということをもっと認めないといけない。そういう自分がいるから、「おれはこんな人間じゃない!」って自己反発したところでどうしようもないし、そのままで嫌なところがあるんだったらそれを直すためにはどうしなきゃいけないかをもっと考えることに時間を使わなけれないけない。しょうがない苦手なことは、もう得意な人にやってもらえばいい。つまり役割分担。最近そう思うようになった。


もうどこかの誰かになろうとして、終わりのない上を見るのはやめる。もう見知らぬ何者かになろうと気張らなくてもいい。悪いところも、悪いところだっていう風に認める。何かが得意なら得意な道をいけばいいし、すきなことを仕事にしたいんだったらすきなことを仕事にしたらいい。いくら振り返っても、いくら自分のことを知ってもらいたいと思っても、結局自分は自分でしかない。無責任に聞こえるかもしれないけど、誰かは誰かなんだよ、誰かは自分ではない。過剰に期待してはいけないと感じた。



最後に。

他者を通して自分を認識するようになって、「理想の自分像」に逃げずに、過剰に期待しないで見ることが大切なことだと実感したし、そのおかげで今があると思っている。他人は自分のことを見てくれないけど、悲観するほど見てくれないわけではないし、むしろ見てくれていることのほうが多いこともある。だけど、やっぱり中の奥のことは、自分にしかわからない。それを探せるような人になりたいと思うし、それを伝えられるようになりたいと思う。

 

”私たちはもう、たったひとりで、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。もう、育ててもらうなんていう考え方ではいられない。(P213,214)

あー、テストやばい…。