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人生、いつだってミーハーじゃなきゃ。

ゆとり

こんにちは!
今日はiPhoneから書いています。
というのも、昨日実家から帰ったときにMacの充電器を忘れてしまって、電源が切れてしまったからです。
 
とは言え、書かないという選択はないために、以前書いていたことをコピペして掲載します。4回に分けて書いてたものを一つにまとめました。読みにくいとは思うし、どうなってるのかわからないけど、勘弁してください。
 
 

「ゆとり」

 
 
この言葉を聞くと、何だかいたたまれないし、いい大人世代が勝手に自分たちの言いやすいようにつくられた言葉だと感じてすごい不愉快に感じる。
そもそも、ゆとり世代っていうのは、
 
 
・学習指導要領に「ゆとり教育」が盛り込まれた2002年度から2003年度において学校教育を受けた世代。
・生年に換算するおよそ1988年から2000年ごろまでに生まれた人々。
・マスコミ等は1987年4月2日~1988年4月1日生まれの者を「ゆとり第1世代」と呼称し、それ以降を「ゆとり世代」としている。
差別用語のような使い方がされることが多いので、できるだけ使用は避けたい言葉。
 
これは、ゆとりでも詰め込みでもない知識、道徳、体力それぞれのバランスが取れた「生きる力」を育むことを目指す目的で実施されている。
 
そして、そもそも何でゆとり教育がされることになったかっていうと、
 
"日本において、知識重視型の教育方針を詰め込み教育であるとして学習時間と内容を減らし、経験重視型の教育方針をもって、ゆとりある学校をめざした教育のことである。2012年度現在、高等学校でのみ施行されている。"
 
と、しているけれど、見込み違いだったのではないかなーと思います。結局授業時間数が減ったことで、勉強しない子と自主的にする人との格差が起きて、下の方の勉強しないから勉強できないまま育ってしまった子が増えていく現状が起きているんじゃないの?
 
ゆとりって、本当に使い勝手のいい言葉だと感じます。できないことがあったらとりあえず一元化して「ゆとり世代だからなー」で済ませられる。 実際はどんなことを思ってやったのかすらも考えられず。
 
そもそも、ゆとりの定義が曖昧なのに、 本当に、「ゆとり」である人ってそんなに多いのかな?
 
ゆとり教育になったのは、「数学」とか授業の時間とやる内容が少し減っただけなのに、それを拡大解釈して、まるで人生経験がまるでないかのように話す。それは、いつの時代だって社会人になるまで全くないといっても過言じゃないでしょ?
 
そして、元々のゆとり教育の目的は、
「受験戦争」と「落ちこぼれ」対策として教科内容と授業時間数を削減して児童生徒の負担を軽減し、余った時間を教科の枠に縛られない総合的な学習に当てるため。(goo辞書)
 
ほんとはいい方向に向かうと思っていたのに、いつの間にかおかしくなってしまったように感じます。
 
というか、そもそも論で「ゆとり世代」の教育をつくったのは誰?って考えると、今のゆとり世代の元となった法案をつくったのは、一世代前の政治家だし、何かいろいろおかしい。
 
「ゆとりだ」と言う人は、若者を「ゆとり」と言うけど、 元をたどると、 「ゆとり」の若者をつくった政策をつくったのは「ゆとりだ」という人の世代でしょ。
 
子どもの数が減って、自分の子には「どんな生き方をしてもいいからね。好きなように生きなさい。」って甘やかされて育ってきた結果が、こういう世代が生まれてしまった過程のひとつでしょう? (全部が全部そういうわけじゃないけど)
 
今の社会をつくっているのは前の世代だ。そして、その前の世代が少なくなった時にその次の社会をつくっていくのは今の自分たち。ひと世代前の大人たちをみて育ってきて自分たちは「今の社会」の憂いを知る。
ぜんぜん思ってたよりも社会が混乱してるじゃないか…。
 
政治家は自分のやりたいようにやっているし、首相もころころかわる。自分たちが汗かいて動いてもほとんど変わらない。牛耳るものが救われている。そんな社会を目の当たりにして育ってきた世代が、どうやって、これからの社会に希望を見出せばいいのか。
 
 
ほんとうに難しい問題。
今は「ゆとりだ、ゆとりだ」なんて悠長に言ってる場合じゃないと思います。ゆとりという言葉で今の若者に責任転嫁をしないで欲しいです。
 
 
「このままではちょっとやばいかもしれない...。」
そういう世論を敏感に感じ取った人たちは、今様々な分野で新しい取り組みをしています。
 
その一部を紹介。
あなたの暮らしと世界を変えるグッドアイデア厳選マガジン greenz.jp
ルーツとしては、
"知ることも大事なんだけど、何もできずドヨーンとしてるだけではもったいなあとも思いだし、スカベンジャーがやったように楽しく人を巻き込み、クリエイティブな方向でなんとかしたいと思って作ったのがgreenzです。"
 
なんだそう。毎日とても面白いグットアイデア厳選記事を紹介してくれています。
 
お先真っ暗に見えてしまう今の社会には、よーく見ると、こんなに面白い企画、団体があって、そういうのを見つけて広げていくと、この社会はもっとよくなっていくんじゃないか?っていうのがいいなあーって思うところです。
 
もう一つは、
生きるように働く人の仕事探し 東京仕事百貨
"日本仕事百貨は「生きるように働く」人のための求人サイトです。給与や勤務地だけで検索しても埋もれてしまう、でもきっと誰かが探している仕事を、職場を訪ねて取材して一つひとつ紹介しています。 "
 
「生きるように働く」、つまり◯◯という仕事にとらわれない、仕事という枠を超えて働く人にスポットを当てた求人サイトです。
 
こういうのすごい面白くて。 greenz同様、今まで知らなかった若者たちがこんな面白いことをやってるのか…!とか山奥でこんなにクリエイティブなものが生まれていたのか…とちょいちょい見ながら感心しています。
 
 
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(本当にゆとりになったかどうかはわからないし、むしろ想像力が豊かになった人が増えたとは思うんだけど、) 現時点の解釈としては、『ゆとり』になってしまった。
 
 
じゃあどうするのか。
状況を嘆いているだけでは、全く先に進めません。そういう現実が起きているなら、その原因を突き止めて、それに対するアプローチをしていかないと。
 
 
言うだけは簡単です。十分自分でもわかっていること。そのあと、どうやって動いていくかが大事なことじゃないかなと思います。
別にこれからどうなっていくかなんてわかんないけど、個人的には、これからはもっと良くなっていくだろうと思います。