悲劇だろうが悲惨だろうが、底に流れるのは愛
こんにちは!
昨日は映画「レ・ミゼラブル」見てきました。
公開当初から、いいよいいよ言われてきたので、思わず。
泣きこそしなかったものの、こんなにうまいこと繋がるんだなーってすごい感動しました。
以下ネタバレあるので、見てない人は見ないほうがいいかも。
1本のパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯が描かれている。作品中ではナポレオン1世没落直後の1815年からルイ18世・シャルル10世の復古王政時代、七月革命後のルイ・フィリップ王の七月王政時代の最中の1833年までの18年間を描いており、さらに随所でフランス革命、ナポレオンの第一帝政時代と百日天下、二月革命とその後勃発した六月暴動の回想・記憶が挿入される。当時のフランスを取り巻く社会情勢や民衆の生活も、物語の背景として詳しく記載されている。
主人公のジャン・ヴァルジャン(そしてジャヴェール)は、犯罪者と言われながらも、後にパリ警察の密偵となったフランソワ・ヴィドックがモデルだと想像される。また、マリユスは若き日のユーゴー自身が、コゼットは彼の妻アデール・フーシェと愛人のジュリエット・ドルーエ(Juliette Drouet)がモデルだと言われている。アンジョルラスは革命の大天使と謳われたルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストがモデルである。
原題 Les Misérables は、「悲惨な人々」「哀れな人々」の意味である。
これは、1人の徒刑囚が偉大なる聖人として生涯を終えるまでの物語であり、
その底を流れているのは、永遠に変わることのない真実の『愛』である。
(via Wikipedia)
こんなうまい話があるのかよ、って思いながらずっとスクリーンに釘付けだった。孤独の痛みを知って、憎しみを覚えた人たちがあんなに一生懸命に一瞬一瞬を生きる姿はとても綺麗。噂に違わぬ名画だった。#レ・ミゼラブル
— タイチヒラノさん (@umaretatee) 12月 26, 2012
最初唄歌いすぎやろと思ったけど、みんないい声で感動。ミュージカルを見てないからこそ楽しめただろうし、なんにせよ良かったかなーと。とりあえずラッセル・クロウかっこよすぎた。渋い。
— タイチヒラノさん (@umaretatee) 12月 26, 2012
帰ってから思わずWikipediaで「レ・ミゼラブル」を検索してしまうほど、思いの外自分には突かれた映画だった。ばらばらだった人たちがいつの間にか最後に行くにつれてつながっていく感じが陳腐な表現だけどすごいよかった。
ミュージカルが原作で今回映画化されたということで、もともとミュージカルを見たことのない自分にとっては、最初どんなもんなんか全然想像がつかなかったです。
なので、思わずミュージカルの les miserablesを見てしまいました。
ああ確かに!っていうところが結構あって面白かったです。
一番印象に残っているのが、やっぱり
ジャン・バルジャンが改心して最後まで自分の正しいと思ったことを貫く姿。
あれほどまで世間に憎しみを抱いていたバルジャンが、司教がこんな自分を助け、施しを与えてくれたことで、今まで自分の抱いてきた憎しみが消え、改心するシーンは確かに出来過ぎだなとか思いながらも感動してしまいました。
いつの間にか、バルジャンが市長になっているところで(最初はバルジャンが市長になっていることはわからなかったんだけど)、ああ、あれから改心し自分を律し誰かのために頑張っているんだなーっていうのが、言葉では伝えなくても演技で伝わってきてよかったー。あのときの神の存在は偉大だなと。
アン・ハサウェイ演じるファンティーヌが娘を任せた場面。それから、コゼットのところに行き、この子をずっと育てる場面で、バルジャンの改心の本気具合がわかって、こっちも嬉しくなった。逆に、ここらへんでずっと法の正義を謳うジャベールは、見ていて痛々しかった。
中盤にさしかかり、アマンダ・サイフリッドが演じる場面はどこらへんなんだろうか、と思いながら見てたら、そこで繋がるのねっていう。コゼット美人…。映画TIMEからは打って変わって、ザ・フランス!っていう感じが出てました。そりゃあ愛したくなるよね、みたいな。
場面は変わり、若者が改革を求め蜂起を行ったところ。あの場面はすごい痛々しくなった。小さい子も打たれ死んでいき、それでも市民は助けてくれない。背水の陣どころか、完全に負け戦なのにも関わらず、果敢に立ち向かう姿はとても勇ましかった…。
その前に、バルジャンがコゼットに好意を寄せる者がいるという情報を知り、コゼットもその人に好意を寄せているという場面は、親の子離れに対する辛さみたいなのをうまく表現していて、ああ、いつか親になったらこんな感じで寂しくなるのかなーなんて思いふけりました。
戦場に向かい、かのマリユスを見て、「Bring him home~」と歌うところは、認めるの早すぎだろwって思ったけど。
蜂起の最中、マリユスが打たれ瀕死状態だった姿を見つけ、命がけで溝の中にも入り、助けようとする姿は本当に聖者だった…。かっこよすぎ。ここは本当にいい場面。
それを最後まで追いかけ、追い詰めたジュベールも、かつて蜂起の際にバルジャンに一度助けてもらったこともあり、そのときから自分の中の正義と、法の正義のどちらが正しいのか悩むようになるところもいい。
罪を犯した人は、ずっと変わらないものだと思っていたが、実はそういう人だけではない。でも、法を犯し、罪を行った人ということには変わらない…。そんな自分の中のせめぎあいが見てて辛かった。結局橋から飛び降りてしまうんだけど。
マリウスを無事助け、コゼットと合わせ、そして結婚する場面。あー、幸せだなと。これまで、いろんな不幸、不運に見舞われ、このままでは絶対にうまくいくはずのなかった人生が「愛」の力で少しずつ方向が変わり、いい方向に向かっていく感じ。うん、愛は偉大だ。
バルジャン最高。
ほんとによかったよ。
これ、もう一回見に行こうかな。
当たり前のことをいうが、「できない」と「努力しない」は違う。障がいも、性格も、病も、特性も、凸凹も、過去に何があったかも、努力しない理由にするのはなんか違うぜ、と思う今日このごろ。やりたくてもできない、があっても、努力したくてもできない、なんてのは、生きてる限り、きっとない。
— しまだあやちゃんさん (@c_chan1110) 12月 4, 2012